「やりがい搾取」を超える新時代のキャリア論

覚醒せよシニア、変革せよ企業!
役職定年や定年後再雇用を迎えた瞬間、多くのシニア社員を襲うのは「社内地位の喪失」と「給与の大幅減少」という現実である。パーソル総合研究所の調査でも、給与ダウンを経験したシニア層の多くが、自身の価値低下やキャリアの終焉を感じているという。
なぜこれほど意気消沈するのか。それは個人の弱さではない。日本企業が長年、「昇格・役職・報酬」を中心とした外発的報酬の仕組みを強化し、その中で社員を育ててきたからだ。責任を果たせば昇進し、成果を出せば処遇が上がる。その前提で数十年働いてきた人に対し、60歳を境に突然「期待役割は縮小、報酬も半減」と告げれば、心理的な動揺が生まれるのは当然とも言える。
一方で、キャリア終盤に入ってなお輝き続ける人もいる。プロスポーツ界のベテラン選手たちはその象徴だ。もちろん、企業人とトップアスリートを単純比較することはできない。しかし彼らに共通する示唆がある。それは、外部評価が揺らいでも、仕事そのものに意味や喜びを見出している点である。仲間と目標に挑む喜び、技能を磨く充実感、誰かに価値を提供する誇り――こうした「内発的動機」が、長く活躍する原動力になっている。
シニア社員にとっても、仕事の意味を再定義し、新たな挑戦や社会貢献に喜びを見出すことは、人生後半を豊かにする大きな可能性を秘めている。
しかし、ここで重要な一線がある。シニア本人が自ら内発的動機を獲得することと、企業がそれを前提に処遇を正当化することは、まったく別問題だ。
「給与は下がるが、ベテランとして頑張ってほしい」「やりがいで補ってほしい」という論理は、しばしば“やりがい搾取”へと転化する。経済活動の原則は、報酬と役割の等価交換である。責任範囲や期待役割が変われば、働き方が再設計されるのは自然な経済合理性だ。近年語られる「静かな退職」も、単なる怠慢ではなく、制度への適応行動として理解すべき側面がある。
さらに深刻なのは、過去に高い成果を上げ、組織を牽引してきた人材ほど、地位喪失の衝撃を受けやすい点だ。研究でも、高い評価を得てきた人ほど、突然の評価低下がパフォーマンス悪化を招く傾向が示されている。役職定年の一律運用は、企業の中核を担ってきた人材の誇りと戦力を同時に損なう危険をはらんでいる。
もちろん企業側にも事情はある。高齢化が進む中、年功的賃金体系の維持は困難であり、若手登用との両立も難しい。問題は役職定年そのものではない。「役職=処遇」という昭和型制度設計が限界を迎えていることにある。
実際、先進企業は動き始めている。60歳一律の役職定年や減給制度を見直し、年齢ではなく役割・専門性・成果で評価する仕組みへ移行する企業も現れ始めた。
真に問われているのは、シニアの意識改革だけではない。企業側が、年齢による一律管理から脱却し、「経験と熟練を最大限活かす制度」へ転換できるかである。日本企業はいま、「シニア問題」に直面しているのではない。昭和型人事制度の限界に直面しているのだ。キャリアの終盤戦は、人生で最も熟練し、最も価値を生み出せる黄金期であるべきだ。

