こころの不調は社会全体の課題

ころの不調は、もはや一人の胸の内にしまいこめる私事ではのうて、社会全体で受け止めねばならぬ重い課題になっております。
その現実を、経済損失という動かしがたい数字を通して提示したい。
横浜市立大学の試算によれば、うつ病などの気分障害による損失は、年間およそ7.6兆円。国内総生産の1%強にあたる額であり、その大半は欠勤そのものより、出勤していても本来の力を尽くせへん「生産性の低下」によって生じている、いうのが実情のよう。
つまり、表に見える休職や欠勤の陰で、声にならぬしんどさが、静かに、けれど深う社会をむしばんでいる。
実際、気分障害の外来患者数は2023年に156万6000人と、20年ほど前の2.3倍に増えました。せやけど、この数字は氷山の一角にすぎないと思てます。
診断には至らずとも、眠れへん、気力が湧かへん、自分ばかり責めてしまう――そうした不調を抱えながら、日々をなんとかやり過ごしてはる方は、もっと多いはず。
その背景には、職場や学校での競争の激しさ、将来への不安、SNSによる絶え間ない気疲れなど、いまの世に特有の息苦しさがあります。とりわけ若い世代では、思春期のインターネットの過剰利用が、のちの抑うつや精神症状の危険を高めることも示されており、早いうちからの目配りと支えの大切さが浮かび上がる。
もっとも、患者数が増えたことは、ただ不調そのものが広がった、いうだけやおまへん。精神科医の数は増え、診断基準は整い、副作用の少ない薬も出てきて、治療を受ける敷居は以前より低うなりました。これまで見過ごされ、言い出せずにおった苦しみが、ようやく「病」として正面から扱われるようになってきた、と見ることもできる。けれど、それでもなお、こころの悲鳴を安心して口にできる世の中になったとは、まだ言い切れまへん。
入社1年目でうつ状態となり休職した女性の姿は、そのことを痛いほど物語っております。まじめで、責任感が強うて、「役に立たなあかん」と己を律し続ける人ほど、限界に至るまで弱音を吐けへん。
そうして、ある日ふいに心が折れてしまう。こころの不調とは、決して特別な誰かにだけ訪れるもんやのうて、ひたむきに生きようとする人ほど隣り合わせにあるものや、と知らされます。
いま必要なのは、こころの病を特別視して遠ざけるまなざしではない。誰にでも起こりうるものとして受け止め、つらいときにはSOSを出してよいのやと、社会全体で言うてあげることかと。
そして周囲の者は、安易な励ましや正論を急ぐのではなく、まず耳を傾け、痛みに寄り添うことが肝要です。専門家が指摘するように、日本では医療機関にかかる前段階で相談できる場が、まだ十分に整ってはおりまへん。地域、学校、職場に、もっと気軽に助けを求められる受け皿を広げていかねばなりまへん。
こころの不調は、弱さの証しではない。むしろ、無理を重ね、声を呑み込みながら耐えてきた人の、切実な悲鳴である。国も自治体も企業も、そして私ら一人ひとりも、その声なき声を聞き取る想像力と、支え合う仕組みを育てていかねばなりまへん。この記事は、相談できる輪を社会の隅々にまで行き渡らせることこそが、ひとの尊厳を守り、ひいては社会の健やかさを支える道やと、静かに、けれど強い熱をもって訴えている。

